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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)2048号 判決

控訴人 (附帯被控訴人)被告 日本国有鉄道

訴訟代理人 田中治彦 外五名

被控訴人 (附帯控訴人)原告 津田末吉

訴訟代理人 今井常一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

附帯控訴により原判決を次のとおりに変更する。

附帯被控訴人(控訴人)は附帯控訴人(被控訴人)に対し金四千八百六十万円並びに内金二千四百三十万円に対し昭和二十四年七月二十八日から完済まで年五分の金員及び内金二千四百三十万円に対し昭和三十二年十一月五日から完済まで年五分の金員を支払え。

附帯控訴人(被控訴人)のその餘の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分しその一を附帯控訴人(被控訴人)その餘を附帯被控訴人(控訴人)の負担とする。

この判決は、附帯控訴人(被控訴人)勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨

一、控訴(附帯被控訴)代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、附帯控訴につきその棄却の判決を、附帯控訴人(被控訴人)の請求の拡張部分につき請求棄却の判決を求めた。

二、被控訴(附帯控訴)代理人は、控訴棄却の判決を求め、附帯控訴として「原判決を取り消す、附帯被控訴人(控訴人)は附帯控訴人(被控訴人)に対し金一億三千五百十一万千五百四十五円及びこれに対する昭和二十四年七月二十八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一、二審とも、附帯被控訴人の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、更に右請求を拡張して「附帯被控訴人(控訴人)は、附帯控訴人(被控訴人)に対し、金一億七千七百四十一万三千九百十三円及びこのうち金三千八百六十二万九千八百二十七円に対し昭和二十四年七月二十八日から、金九千六百四十八万千七百十七円に対し昭和二十八年十月十七日から、金四千二百三十万二千三百六十八円に対し昭和三十二年四月二十七日から、それぞれ完済まで年五分の金員を支払え、訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

第二、被控訴人の主張。

被控訴(附帯控訴)代理人は、請求の原因として、

一、被控訴人は、東京都深川において木工場を営んでいたが、戦時中、福島県東白川郡豊里村(後に矢祭村となる)大字東館字反田十四番地に右工場を疎開し、昭和二十二年十一月頃には敷地約二千坪の土地に事務所、工場、倉庫、住宅等十二棟(未完成のものを含む)を所有し福島県南有数の模範的大工場となり、引き続き製材木工場を経営し、かつ、建築請負業を併せて営んでいた。

被控訴人の右工場は、国有鉄道水郡線に沿い、線路の東側に同線東館駅南東方二百米に所在し、同工場のうち鉄工場、第一倉庫、帯鋸製材工場は鉄道線路とほぼ同じ方向に線路から約十九米の距離に建ち並んでいた。

二、昭和二十二年十一月五日国有鉄道水郡線郡山発上り第三七二列車(機関車番号第二八六六三号)が同日午後零時三十分頃東館駅を発車し、同駅ホーム南端をはなれた時から前記工場の西側を通過するまでの間に、右列車の機関車の煙突から発散した火粉が、折柄の北西風(秒速四米ないし六米)によつて十九米ないし二十三、四米運ばれ、前記第一倉庫の開けはなされた二階の窓から或は同倉庫西側板壁の下見板下の高さ一尺五寸長さ八間の間隙から飛び入り、同倉庫内に残置され、連日の晴天に乾燥しきつていた鉋屑、藁などの上に落下し、忽ちこれに着火して燃え上り、右倉庫土台下の空間から吹き込む強風に煽られ、前記列車が右倉庫西側を通過した後二分ないし三分で早くも同倉庫西側二階窓から黒煙を吹き出し、火災警報発令下のこととて、火の手は忽ち右倉庫から工場の全建築物に延焼し、これらの建物内にあつた機械、器具、製品、半製品、原材料、家具、什器等一切は僅々二時間にして灰燼に帰した。

しかして、右倉庫は、昭和二十二年五月頃建築工事に着手し六月上旬その工事を打切つた未完成の、東西四間南北八間の木造金剛スレート葺二階建建物で、一階二階とも床板なく、一階と二階とを区切るは六尺間隔におかれた巾四寸の梁木のみであり、右倉庫の敷地は、もと水田であつたが、これを鋸屑で埋め立てて平地となし、これに杭を打ち込みその上に土台を敷き、敷地と土台との間は、西側線路寄りにおいて一尺五寸位の間隙があるが、東側においては殆ど間隙なく、右倉庫敷地の西側外は次第に傾斜して低くなり、鉄道線路との間は窪地の狭い稲刈跡の水田となつており、西北よりの烈風は右土台下の間隙より盛に吹き込む状態であつた。右倉庫の窓は、腰壁二尺五寸の上部に巾一間高さ四尺五寸のものが、西側と東側には、階上階下とも各四個、南側と北側の各階上に各一個あり、南側と北側の各階下には各巾一間高さ七尺の出入口があるがその戸なく、右窓にはいずれも引き違いの板戸があつた。当時右倉庫の西側の窓はすべて開けはなたれてあり、その倉庫内には、工場住宅用木材の残材、ヤナ小屋の切組加工材(一間半と二間の建物の木材一式)の板材、小角割材、角材等が四屯積トラツク二台分北側から西側の壁に立てかけてあり、三尺ないし六尺の桐の板材が右トラツク一台分南側にあり、西側の材木の南に直径六寸位の藁束が十把位一尺か二尺の高さに積み重ねてあり、鉋屑は手でかき集めた後のもので、集めれば炭俵に四、五俵位のものが散在していた。右倉庫には、電気電燈の設備なく、前記火災の約二十日位前迄は、大工二、三名が建築用材の加工、木組の準備をしていたが、その後は仕事をするものもなく、右火災の当日はたまたま休電日に当り、被控訴人方においては午前中五名の工員が製材工場内又はその前庭で木材切端の結束作業を、工員三名が家具工場内で箱作りを、女工員二名が製材工場東側空地で収穫された小豆の整理を、大工二名が製材工場で、他の大工二名が建築中の住宅で、それぞれ仕事をなし、他の一、二名の工員が他の作業をしていたもので、発火の原因となるような何らの事情もなかつたものである。

三、前記火災の原因は、前記機関車の散火に基くものであつて、その散火は国有鉄道当局が、旧式老朽の機関車(本件機関車は八六二〇型で大正三年頃製作されたものである)を使用し、右機関車はすべての部分の破損甚しく、その機関車に亜炭同様の低品位(熱量約三千五百カロリー)かつ粗悪な、従来最も散火することの多しとせられた常磐炭の神の山十級炭に、三池粉炭を混合使用していたこと、飛火防止の設備を完全にしていなかつたこと(本件機関車に設備してあつたと称する火粉止網なるものは、たとえ設備してあつたとしても、散火を防止するには不完全なものであつた)本件列車乗務員その他の従業員に対し列車運行特に石炭の使用取扱につき訓練指導を十分にしていなかつたこと等に起因するものであり、これは国有鉄道当局が、その職務を行うに当つて、列車の散火防止について十分な調査研究を遂げず、適切必要な処置を怠りながら列車を運行したという重大な過失によるものである。

四、仮りに、右のような粗悪炭、老朽機関車を使用することが時局の要請上やむを得なかつたとしても、当時の国有鉄道は、その沿線の山野家屋に常に火粉をまき散らし、そのために沿線火災が相ついで生じた状態であつたが、単に時局の要請であるとしてその責任を免れ、ひとり被控訴人にその損害を負担させることは正義衡平の理念よりして許さるべきものでなく、広く国民全般がその損害を負担する意味で国家すなわち控訴人がその損害に対し無過失賠償責任を負うべきものである。

五、被控訴人が前記火災によつて被つた損害は、その所有の事務所、工場、倉庫、便所、住宅等十四棟(うち二棟は建築材料切組中)並びに一般設備(門、塀、外灯、消火用諸施設、運搬用諸施設等)機械器具、電気動力設備、事務用備品、原材料、製品、半製品、自動車用備品、建築用資材、家具、木製品、製作用資料、家庭用品(衣類、什器、鶏、食糧、薬粧品等)の焼失または使用不能、もしくは要修理のための諸損害、焼跡整理諸経費、工場焼失のため得べかりし利益の喪失、延焼した近隣民家の仮住宅(六棟)の建築材料提供費等物的損害は原判決添附「損害明細書第一」のとおりで、当時の価額にして合計金三千四百三十二万九千八百二十七円九十一銭に達した。

また、被控訴人は、当時、盛大に木工場を経営し、その事業は更に発展途上にあつたのに、前記火災によつて根本的に潰滅して再起不能となり、これにより被控訴人の蒙つた精神上信用上の損害は到底計ることはできないが、その慰藉料は金五百万円を相当とする。よつて、被控訴人は、これらの損害のうち被控訴人が受領した火災保険金七十万円を差引いた残額金三千八百六十二万九千八百二十七円九十一銭の支払を求めうるものである。

六、昭和二十二年十一月五日前記火災発生のときより今日まで、諸物資の公定価額並びに一般物価は上昇の一途をたどり、昭和三十二年三月末における日本銀行統計局調査査定の倍率は実に、四・六四五一倍である。

損害賠償制度を認めた趣旨は、被害者の被害の全部を賠償するにある。損害発生のときと賠償履行の時との間に物価の変動なきか或はその上昇率が微小なる場合は、履行時において、損害時の額に法定利率を加算して支払えば被害者の損害の大凡全部が賠償される次第であるが、第二次世界大戦の終戦前後より今日に至る時代は、未曽有の激変上騰時代で物価の大昂騰は全く常規をもつて律すべからざるものである。被控訴人の前記損害につき昭和二十二年十一月当時の物価で支払われるとすれば、昭和三十二年三月末日に支払われるとしても単に四・六四五一分の一の賠償を受くるに止り、被控訴人に対し苛酷この上なく、控訴人は実質損害の四・六四五一分の一の支払をもつて免るることとなり正義衡平の観念に反し、被害者の損害を完全に賠償せしめんとする趣旨に悖るものである。かような場合においては、物価の騰貴に応じ損害賠償額を拡張すべきもので、大正九年(オ)第九〇二号事件の大審院判決(大正十年四月四日言渡民録二七輯六一六頁)は、「財産権を侵害された被害者は基本たる損害の外不法行為の時より賠償を受けるまでの法定利率による金額をも賠償として請求することができる。不法行為により滅失したる物の価格が不法行為の時より後に騰貴したる場合において、その騰貴価額を賠償額とするとき、これに対する法定利息は騰貴の時より請求し得べきにして、不法行為の当時に遡りて請求することを得ない」とし、大正五年(れ)第一二四八号事件の大審院判決(大正五年十一月十七日言渡法律新聞一二〇三号)は「不法行為によりて侵害せられた財産権の価格がその行為後昂騰した場合被害者は民法第七百九条により損害賠償として最高額並びにこれに対する最高額に達したる以後賠償済に至るまでの期間における損害額の賠償を請求し得べきものとする」とし、いずれも、不法行為の時より損害賠償履行の時までに物価の騰貴ありたる場合これを理由として当然請求金額の拡張をなし得るものとしているのである。

なお、

(1)  昭和九年頃より諸物価の騰貴は日に月に上昇し、殊に終戦後昭和二十年、二十一年、二十二年は一層急激にして当時物価が益々上昇すべきことは何人も予見し得たところであつて、控訴人も当然これを予見し得たものであり、貨幣価値の変動は民法第四百十六条第二項にいう「特別の事情の変更」に当り、被控訴人は貨幣価値の変動低落による差額を本件火災と因果関係ある損害としてその賠償を求め得るものである。

(2)  本件において、賠償額の拡張を認めないときは、前記の如く被控訴人は、四・六四五一分の一の賠償を受けるに止り、これに反し控訴人は右賠償によつて責任を免れることになるのであつて、これは正に正義衡平の原理にもとり、明らかに民法第一条第二項にいう信義誠実の原則に反するものである。

(3)  民法第四百十九条は法定利率による加算を認めているが、その根底には賠償額増額の原理を包蔵するものであるので、被控訴人は貨幣価値の低落による損害を求め得るものである。

しかして、被控訴人は、訴状において、前記金三千八百六十二万九千八百二十七円九十一銭の支払を求めたが、その後物価が更に騰貴し、前記のように焼失した物件の昭和二十八年九月末当時の価格は、原判決添附「損害明細書第三」の如く金一億三千八十一万千五百四十五円となつたので、被控訴人は昭和二十八年十月十六日請求を拡張して、右金額から前記火災保険金七十万円を控除し、精神上の苦痛、信用等無形の損害金五百万円を加え金一億三千五百十一万千五百四十五円の支払を求め、更にその後物価が騰貴し、前記のように焼失した物件の昭和三十二年三月末の価格は昭和二十二年十一月五日当時の価格の四・六四五一倍となり、すなわち前記金三千四百三十二万九千八百二十七円九十一銭から金七十万円を控除し、これを四・六四五一倍すると金一億五千六百二十一万三千九百十三円六十二銭となり、これが前記焼失物件の損害として被控訴人が求め得る賠償額であり、このほか

(イ) 被控訴人は、前記工場の全焼によつて稼動が不能となり、その為一ケ月金十万円の損害を被つており、その額は、昭和二十二年十二月分から昭和三十二年三月分まで金千百二十万円であり、

(ロ) 被害者に対する法律の救済は必ず全的救済であらねばならないもので、物的損害の救済をもつて終るべきでなく、被控訴人は慰藉料の支払を受けることのできるものであり、前記火災によつて被控訴人の受けた精神上信用上の損害は致命的で、慰藉料は金千万円を相当とする。

よつて、被控訴人は昭和三十二年四月二十六日請求を拡張して、以上合計金一億七千七百四十一万三千九百十三円(円以下切捨)の支払を求めるものであるが前記のように順次請求を拡張して支払を求めて来たので請求趣旨のとおりに内金につき各請求の翌日から民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求めるものである。

七、前記火災は、前記のように国有鉄道当局の重大なる過失によつて生じ、これによつて被控訴人に対し前記損害を与えたものであるから、その賠償の責任は国有鉄道を経営する国が負うべきものであるが、昭和二十四年法律第百五号日本国有鉄道法施行法第四条により控訴人がその義務を承継したものである。

また、国に対しては失火の責任に関する法律の適用はない。けだし、右失火の責任に関する法律は、失火者の資産に比して損害が莫大で到底賠償に堪えないという理由で、比較的資産能力の小さい個人を対象としてその責任を軽減するための法律であつて、資産能力が殆ど無限大ともいうべき国に対しては正義衡平の理念から考えても適用されないものである。

と述べた。

第三、控訴人の主張。

控訴(附帯被控訴)代理人は、(一ないし八省略)

九、被控訴人は焼失した物件の滅失による損害を請求している。物の滅失による損害額の算定は滅失当時の交換価額によるべきものであつて、滅失後その物の価格の騰貴は、被害者がその価格で転売したり、その他特別の事情によつて騰貴価格による利益を収受し得たであろう事情が存在し、かつ、これを行為者が予見しうべかりし場合にのみ考慮の対象とされるにすぎない。被控訴人の主張はインフレーシヨンにより本件焼失物件の価格の騰貴があつた筈であることを理由に、その物の使用収益の出来ないことによる損害として騰貴した価格相当の賠償を求めるが、これは前記交換価格に当然包含されており、他に、本件においては、被控訴人が価格騰貴による利益を収受したであろう特別の事情と、これを控訴人が予見し又は予見しえたであろう事情は何ら存在しないから、被控訴人の主張は失当である。しかして、物の滅失による損害賠償請求権は滅失のときに、その時の交換価格によつて金銭債権として確定し、その後インフレーシヨンによる貨幣価値の変動は貨幣法上の特別の立法等のなされた場合は格別、然らざる限り毫も右債権の内容を修正するものでない。(最高裁判所昭和三十一年四月六日判決民集十巻四号三四二頁)

とのべた。

第四、証拠〈省略〉

理由

(第一、ないし第五、省略)

第六、被控訴人は、昭和三十二年二月末における物価は昭和二十二年十一月五日の物価の四・六四五一倍であるとし、前記損害明細書第一の一ないし十記載の損害金額に右倍率を乗じた金額を以つて被控訴人が現実に蒙つた損害とし、この限度まで請求の趣旨を拡張したので、この点につき考えるに、これをインフレーシヨンによる貨幣価値の下落を理由に請求金額の変更を求めるものと解するならば、貨幣法上の特別の立法のない限りこれを肯認するに由ないであろう。不法行為による物の滅失毀損に対する損害賠償の金額は、特段の事由のない限り、すなわち、騰貴価格に相当する利益を確実に取得しうべき特別の事情が存在し、しかもその事情が不法行為の当時予見し、または予見しうべかりし場合のほか、滅失毀損当時の交換価格により定むべきであることは従来判例とするところである(大判民刑連大正一五・五・二一民集三八六頁、昭和三二・一・三一最高裁判決)。けだし物の滅失毀損の時において、加害者は被害者に対し現実に財産上の損害を蒙らしめたものであつて、その当時の交換価格によつてその損害額を賠償するにおいては、被害者の財産上の損失は填補せられるからであり、また一たび金銭債権、すなわち貨幣を以つて表示された債権として発生した以上、その債権は貨幣法上特別の措置の講ぜられない限り、貨幣価値の変動によつてその額面を修正されるものではないからである。しかしながら、おなじく金銭債権であつても取引、契約などによつて当初から確定名価を以つて示された金銭債権と、損害賠償請求権または不当利得返還請求権のように一般的に価値賠償または価値填補に向けられた債権とは、別異に取り扱うことが必要であろう。けだし、当事者の意思の合致により当初から確定名価を以つて示された金銭債権においては、貨幣価値変動の場合も原則として、その名価に従うことを要するのは、支払取引の安全と恒常とを保護することを使命とする通貨の目的から見て極めて当然のことであるが、損害賠償請求権または不当利得返還請求権にあつては、衡平の理念から社会通念上損害または不当利得と認められるものを賠償し、または返還せしめるのであつて、ここにいう損害の賠償または利得の返還は、価値賠償または価値填補にほかならないのであるから、観念上債権発生の時において確定名価を以つて表示されたとしても、確定名価を以つてした表示は、その当時における価値を表示したものに過ぎないのであるから、口頭弁論終結の時までの間に、インフレーシヨンにより著しい貨幣価値の変動がある場合には、価値の実質を維持するため当然これを顧慮しなければならない。もしインフレーシヨンによる貨幣価値の著しい変動を全く顧みないでよいこととなれば、この変動により債務者は不当に賠償または返還の義務を免かれて不当に利得し、債権者は当然受くべき価値の賠償または返還を失うこととなり、かえつて損害賠償または不当利得の本質である衡平の理念にもとることとなるであろう。しかし現実に賠償額または返還額の範囲を確定するには、当時におけるインフレーシヨンの趨勢、一般にこれが予見されていたか、予見することが可能であつたか、または債務者がこれを予見したか、少くとも予見しうべきものであつたか、どうか等を斟酌することを要するものと考える。進んで本件につきこれを見るに、本件火災の昭和二十二年十一月五日当時すでにインフレーシヨンの傾向にあり、その傾向が益々助長される事情にあつたことは、何人も否定し難いところであり、昭和三十二年三月末における一般物価が昭和二十二年十一月当時の一般物価の四・六四五一倍であることは、当裁判所において真正に成立したものと認める甲第七十八号証に照らしこれを窺いうるので、控訴人が負担すべき前記損害賠償額も、右物価騰貴の事情を考慮してこれを増額しない限り、衡平の理念にもとるものというほかなく、以上の事実によれば、本件火災当時国有鉄道を経営していた国が前記インフレーシヨンの傾向を予見していたことは否定し難いが、その昂進の率は容易に予見し難いものというほかなく、この事実と当時までの物価騰貴の事情及び前記の如きその後における物価騰貴の状況を併せ考えると、前記損害賠償額を倍額とするときは衡平の理念にかないうるものと考えられ、この増額する部分は物価騰貴によつて当然生ずる損害の賠償でなく、口頭弁論終結時において、その当時までの物価騰貴その他前記諸般の状況を考慮して裁判所が認定する損害賠償の数額であつて、口頭弁論終結時において損害賠償の数額が確定されるものであるから、この時に右確定された金額につき弁済期が到来したものと考えるほかないので、控訴人は右増額部分については口頭弁論の終結の翌日である昭和三十二年十一月五日から完済まで民法所定の年五分の遅延損害金の支払義務のあるものといわねばならない。この点の控訴人の主張は右の限度において採用し、その餘はこれを排斥するほかない。

第七、然らば被控訴人の請求中金四千八百六十万円並びに内金二千四百三十万円に対する昭和二十四年七月二十八日以降年五分の遅延損害金及び内金二千四百三十万円に対する昭和三十二年十一月五日以降年五分の遅延損害金の支払を求める請求は正当として認容すべきも、その餘は理由なしとして棄却すべきにより、これと異る原判決は右の如く変更する要あり、本件控訴は理由なきをもつてこれを棄却し、附帯控訴はその理由があるので原判決を右の如くに変更し、控訴費用及び訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条第九十六条仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 岡咲恕一 判事 脇屋寿夫 判事 龜山脩平)

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